 |
「松山市駅」からスタート! |
 |
「松山市駅」から まで徒歩3分 |
|
|
 |
 |
子規誕生地跡 |
 |
子規は慶応3(1867)年9月17日、この地で生まれた。竹垣があり、内側にサンゴ樹が並んだ家であったという。 |
|
| |
 |
| |
 |
堀之内公園 |
 |
周囲に堀が巡らされた緑豊かな公園は、松山城の三之丸跡。市民の憩いの場となっている。 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
 |
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の句碑 |
 |
碧梧桐は、季題や定型にこだわらない句と独特の書体で俳壇に名を残している。「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」と刻まれている。 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
松山中学校・勝山学校跡 |
江戸時代に藩校明教館があった場所で、明治時代には勝山学校・松山中学校として近代教育の拠点となった。少年時代の正岡子規や秋山真之がここで学び、明治28(1895)年には後の文豪・夏目漱石が松山中学校に英語教師として赴任した。現在は、漱石が松山を去る際に詠んだ句とともに記念碑が建てられている。
(明教館は現在、松山東高等学校に移築・復元されている) |
|
| |
 |
| |
ページのトップ戻る |
 |
から まで徒歩1分(二之丸史跡庭園へは から徒歩5 分) |
 |
 |
二之丸史跡庭園 |
 |
 |
8月 9:0017:00
2~7月、9~11月 9:00~16:30
12月、1月 9:00~16:00 |
 |
一般100円児童・生徒50円 |
 |
12/29 |
 |
089-921-2000 |
|
|
|
| |
 |
 |
愛媛県庁 |
 |
萬翠荘を手がけた木子七郎の設計により、昭和4(1929)年に竣工。ステンドグラスなど内部装飾も美しい。 |
|
|
 |
から坂の上の雲ミュージアムまで徒歩5 分 |
|
|
 |
| 松山城南麓に位置し、周囲の環境と調和した、『坂の上の雲』まちづくりの中核施設。小説の魅力などを伝えるさまざまな展示をしている。 |
 |
 |
9:40~18:30 |
 |
一般400円(320円)
:高齢者(松山市内に在住する65歳以上)200円(160円)
:高校生200 円
※( )内は20人以上の団体割引料金 |
 |
月曜日(ただし毎月第一週は火曜日)、年末年始 |
 |
089-915-2600 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
 |
坂の上の雲ミュージアムから夏目漱石書簡碑まで徒歩2分 |
|
|
 |
 |
夏目漱石の書簡碑と愛松亭跡 |
 |
漱石は松山に着任当初、小料理屋「愛松亭」の離れに下宿した。書簡は漱石が恩師に宛てたもの。 |
|
|
 |
夏目漱石書簡碑から まで徒歩1分 |
|
|
 |
 |
萬翠荘 愛媛県美術館分館 郷土美術館 |
| 松山藩主の子孫である久松定謨(さだこと)の別邸として大正11(1922)年に建設された。木子七郎設計のフランス風洋館は、当時には珍しい本格的な鉄筋コンクリートの建造物。建設の年には皇太子であった昭和天皇が宿泊した。 |
 |
 |
9:40~18:30 閉門 |
 |
1 階無料、2 階企画展示開催時のみ100円 |
 |
月曜日(第一週は火曜日) |
 |
089-921-3711 |
|
|
| |
 |
| |
 |
漱石ゆかりの井戸 |
 |
萬翠荘の玄関前にあり、松山城築城当時に掘られたといわれる。井戸の深さは14.3メートルで、現在も涸れることなく水が湧き出している。漱石が下宿した愛松亭に隣接し、漱石もこの水を使っていた。 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
愚陀佛庵 愛媛県美術館分館 郷土美術館 |
| 漱石と子規が50日余り暮らした家が萬翠荘の裏に復元されている。「愚陀佛」とは漱石の俳号。漱石が下宿した上野家の離れに、子規が療養のために身を寄せた。一階に子規、二階に漱石が暮らし、子規のもとを訪れる人々との交流を通して、漱石は文学表現の面白さに目覚めたといわれる。 |
 |
 |
9:40~18:30 閉門 |
 |
無料(外観のみ) |
 |
月曜日(第一週は火曜日) |
 |
089-921-3711(萬翠荘) |
4~11月の土・日曜日、祝日には茶席が設けられる
 |
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
秋山兄弟生誕地 |
| 秋山好古・真之兄弟が生まれ育った生家が生誕地である歩行町(かちまち)に復元されている。生家は藁屋根で木造平屋建ての簡素なつくりで、典型的な下級武士の住まいだった。子孫への聞き取りなどをもとに再現された。 |
 |
 |
 |
10:00~17:00 |
 |
200円(高校生以下無料) |
 |
月曜日、祝日の翌日、
年末年始(12/28~1/3) |
 |
089-943-2747 |
|
|
| |
 |
| |
ページのトップ戻る |
 |
松山城ロープウェイ駅舎から東雲神社まで徒歩3分 |
|
|
 |
 |
ロープウェー街 |
 |
松山藩では能が盛んであった。明治維新後、能装束など一式が東雲神社に寄進され、能の伝統が守られた。 |
|
|
 |
松山城ロープウェイ駅舎から山頂までロープウェイ・リフトを使って15分、散策道で徒歩25分 |
|
|
 |
 |
松山城 |
| 小説『坂の上の雲』の冒頭にも描かれている松山城。賤ヶ岳七本槍で名高い加藤嘉明が慶長7(1602)年から25年の歳月をかけ築城した名城。姫路城や和歌山城と並ぶ、三大連立式平山城に数えられる。 |
 |
 |
9:00~16:30(8月17:00まで、12、1月16:00まで) |
 |
天守閣 大人500円 小人150円 |
 |
12/29 |
 |
089-921-4873 |
 |
ロープウェイ・リフト利用
往復 大人500円 小人250円 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
 |
松山城ロープウェイ駅舎から まで徒歩8分 |
|
|
 |
 |
愚陀佛庵跡 |
 |
明治28(1895)年に漱石と子規がともに暮らした上野邸の離れはここに建てられていた。愚陀佛庵は昭和20(1945)年7月の松山大空襲で焼失、その後萬翠荘の裏に復元された。 |
|
| |
 |
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
俳誌「ほととぎす」創刊の地 |
 |
俳誌「ほととぎす」は柳原極堂によって明治30(1897)年に誕生。のちに高浜虚子が後を継ぎ、「ホトトギス」と名を変えて現在に引き継がれている。 |
|
| |
 |
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
子規旧邸跡 |
 |
子規が2歳から16歳で上京するまで過ごした住居跡。小説には敷地の広さ180坪ほどとある。隣には、わが国最初の子規の歌碑が建てられている。 |
|
 |
| |
 |
玉の石の伝説 |
| 昭和26(1951)年に建てられた歌碑には、「くれなゐの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ」が刻まれている。 |
|
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
子規母堂令妹住居跡 |
 |
子規の母八重と妹の律が、明治21(1888)年から東京に移る明治25(1892)年まで暮らした家の跡である。四畳と六畳の二間しかない小さな家に、大学生の漱石が帰省中の子規を訪ねて立ち寄り、松山鮨を食べた。 |
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
末広学校・正岡家墓地跡(法龍寺) |
 |
正岡家累代の墓はこの寺にあったが、昭和2(1927)年に正宗寺に移された。寺に設けられた寺小屋式の小学校である末広学校(のち智環学校と改称)には幼い子規も通った。 |
|
| |
ページのトップ戻る |
|
|
|
 |
 |
| |
 |
子規堂(正宗寺) |
| 子規が上京する17歳まで暮らしていた湊町の住居を正宗寺の傍らに復元。当時をイメージさせる机などが置かれた書斎には、遺墨や遺品など子規の資料が展示されている。 |
 |
8:30~16:40 |
 |
50円 |
 |
無休 |
 |
089-945-0400 |
|
| |
 |
正宗寺境内 |
 |
正岡家累代の墓をはじめ、子規の遺髪を納めた埋髪塔や、内藤鳴雪の髯塔(ひげとう)などがある。 |
|
|
 |
|
| |
ページのトップ戻る |